大崎耕土が田植えの時期を迎えました。日本の稲作は今から三千年ほど前に中国大陸を経由して渡来し、日本は瑞穂の国といわれ、米は日本人の主食となり、稲作は日本文化の形成や政治経済の重要な役割を果たしてきました。しかし、熱帯原産である稲が寒冷地である東北地方において定着するまでには、長い苦難の道のりがありました。
それは篤農家や稲作研究者による品種改良や技術改善の努力の歴史です。現在、日本で栽培されている稲の品種は300品種以上あり、毎年10〜20の新しい品種が誕生していますが、品種の現役寿命はおよそ13〜15年といわれています。その中で、「ササニシキ」が新品種としてデビューしたのは1963年(昭和38年)です。
二毛作時代から単作多収時代へ、多収から良質米時代へとお米を巡る時代の流れが変わる中で、他品種が失速していく中で「ササニシキ」は、時代の荒波を乗り越え、「東の横綱」「お米の女王」と称され、60年間現役で頑張り続け、東北の米作りを支えてきたまれにみる長寿の品種であります。
古川駅前には「ササニシキ」への畏敬と感謝を込めてササニシキ顕彰碑(少年と母親の像)が建立されています。大崎市では「ささ王」決定戦を開催して、ササニシキ系銘柄を高める取り組みを展開しております。
人間でいえば還暦を迎えた偉大なブランド米「ササニシキ」の誕生と歩み、貢献に感謝し、新時代を切り拓かれることを期待しております。